FC2ブログ

批評禁止令の下で

 前回の記事(「「編集者」の時代としての「平成」」)で、「平成」という無の時代を表象=代行する批評家として東浩紀を挙げたが、そう言えば山城むつみを忘れていたことに気がついた。そう思ったら読みたくなり、『ドストエフスキー』と『小林秀雄の戦争の時』を読み返した。読んだらやはりおもしろくて、以前より印象が良くなったが、しかし根本的な問題は変っていないとも思った。
 山城の批評は、ポール・ド・マンの批評を日本において最も誠実に受容し応用実践したものと評することができる。ただしその誠実さは誠実であることにおいてかえって不実な盲目を孕まざるを得ない。それはちょうど、中村光夫が田山花袋を批判して、作者と作中人物の区別ができていないことを指摘したこと(この指摘自体は正しいかどうかは疑問があるが)を連想させる。山城は作者としてのドストエフスキーや小林秀雄を全面的に肯定するところから批評を始める。それはまさに文芸批評の王道であり、文学と文学者への敬虔な信仰告白である。それを読むと、自分がいかに文学から遠く離れた邪道に陥っているか、文学と無関係な俗な人間であるのかと反省したくなる。だが同時にやはり、山城の描くドストエフスキーや小林秀雄に対する根源的な疑問も湧き起こってくる。
 たとえば山城によれば、小林は「「悪霊」について」の連載がスタヴローギンの告白にさしかかった時に、中国に行き、日中戦争の惨状を目撃した。現地の慰安所などを見学し、そのことを帰国後に文章にしたが、その文章は検閲の対象となり、切り取られた。山城はその削除部分を断片的に復元しつつ、小林が「悪霊」論を続けられなかったのは、慰安所などにおいて小林が目撃した日本の「悪」が言葉を奪ったのではないかと示唆する。これは確かに注目すべき論点である。しかしその後の小林は、この他者体験を乗り越える真剣な努力をしたのだろうか? 私は説得されなかった。「「一流の文学者」なら、必ずやそこから自らの『悪霊』以後を書くはずだ」と山城は書くが、ここには小林(そしてドストエフスキー、武田泰淳など)が「一流の文学者」であるという盲目的な前提があり、その前提から小林のテクストがすべて好意的に読まれている。この前提を支えるのが「一流」と「二流」以下との差別であり、その差別なしに(小林の批評もそうだが)山城の批評は始まらない。同じ身振りは、『ドストエフスキー』においても、二葉亭四迷の盲目的な特権化に見て取れる。山城は序章において二葉亭がドストエフスキーを当時の日本において唯一まともに受容した作家だったとした上で、二葉亭の死後大逆事件を経て「日本の近代文学は、二葉亭の頭ひとつ分、低くなった天地に急速に繁茂して行った」と述べる。この歴史観は、山城がなぜドストエフスキーを読むのかを正当化するために不可欠だが、役目を果たすとその後の論述からは消滅し、バフチンを下敷きにひたすらドストエフスキーの五大長篇の精読(それ自体はスリリングでブリリアントではあるが)が続く(そこでは鎌田哲哉のドストエフスキー論への執拗な論争的参照があり、平成批評の不在の中心が鎌田だったことを改めて感じさせる)。だが最後にもう一度二葉亭と日本文学に戻らないとこの本は本当に終わったとは言えないのではないか。いずれにしても、大逆事件まで二葉亭が生きていたとしてどんな態度を取ったのかは分からないし、二葉亭が他の文学者より「高い」ところにいたと見ることは、かえって二葉亭をモノローグ化することになるだろう。
 山城は「漱石の絶筆『明暗』の続編を書くのと同じ要領で『浮雲』の続編を書いてしまったら滑稽なことになるだろう」と述べているが、「滑稽」で何が悪いのか。『明暗』の続編として想起されるのは水村美苗の『続明暗』だが、水村の最大の問題点はむしろそこに必要な「滑稽」さが欠如していたことにある。 山城は『ドストエフスキー』の中でスタヴローギンの告白についてその「滑稽」さを分析しているが、『浮雲』の続編を書くことを「滑稽」と見なす山城氏は、スタヴローギン同様「笑いに耐える用意」ができていないように見える。少なくとも『浮雲』の続編としては既に田山花袋の『蒲団』が書かれていて、そしてその「滑稽」さは無視できないと私は思う。
 「滑稽」さと言えば、渡部直己のセクハラ事件のニュースには私も驚いた。私は渡部氏の批評に対しては『日本近代文学と〈差別〉』以来批判的で、『不敬文学論序説』については「早稲田文学」のデュアル・クリティックで長い批判文を書いた。私には渡部氏の批評がテクスト論とPC的なものの野合のように感じられて、その「友」と「敵」の峻別の仕方の恣意性に反発した。一方で文学が「差別」に荷担するだけなら文学などなくなってもいいと言いながら他方で「過剰」な文学はその限りではないというロジックがダブル・スタンダードに見え、「過剰」の基準が曖昧に見えた。今考えると渡部氏が振り回していたのはPCというよりは江戸的な「勧善懲悪」だったのかもしれない。「俺の女になれ」という真偽不明の発言が話題になっているが、これが事実ならそれは花袋というよりは岩野泡鳴的に感じられる。実際渡部氏は初期に熱烈な泡鳴論(テクスト論的に自然主義文学を読み破るという点で当時は画期的であり、私も影響を受けた)を書いている。ただ渡部氏のセクハラに、泡鳴の刹那主義・半獣主義の強度はなさそうだ。昔懐かしの柄谷行人風に言えば、「暗闇の中の跳躍」に失敗したのだから、ご愁傷様と言うしかない。
 渡部氏についてのツイッターの発言をたどっていたら、去年週刊読書人に載った柄谷行人との対談「起源と成熟、切断をめぐって」へのリンクがあり、読んでみると、その中で渡部氏は、東浩紀を「マルクス的柄谷」、山城むつみを「キルケゴール的柄谷」と命名して、現在の若手の批評が東派と山城派に分かれていると述べ、東を絶賛していた。柄谷からは「「マルクス」系の方は、あまりマルクス的ではないという感じがするね」とたしなめられていたが、さすがに東がマルクスというのはないだろう。渡部氏は世間的には得意の絶頂だったのかもしれないが、批評家としての目は曇りすぎていた。
 前回記事で取り上げた『現代日本の批評』シリーズの東は、端的に言って「社長」であり、むしろマルクスに打倒されるべき存在である。他の批評家は全員「社長」にへつらって御説ごもっともと相槌を打つ無自覚の「幇間」といった感じで、そのことへの違和感が、私に批判的な記事を書かせたのだが、その「幇間」の一人だった市川真人も、今回のスキャンダルの隠蔽に関与した当事者として暗黙に名指されている。私は二〇一六年冬号の「早稲田文学」の「快楽の館」特集(篠山紀信撮影のヌードを背景に文壇人たちの仲良しこよしぶりを見せつけるためだけに組まれたようなもの)を読んで異様な印象を受け、このブログの「アレテイア」という記事(2017-1-27)で批判的なことを書いた。その記事で私は川上未映子を山田順子に喩え「顔写真付き「女流作家」」と形容した。すると川上は村上春樹との対談本の中で、私の名前を出さずに「女流作家」という形容は差別だと批判し、その後責任編集で「早稲田文学 女性号」を出した。まさか私の記事がきっかけになったのではないと思うが(私はもう長く文芸誌に書いていないし、川上氏とも話したことはなく、自分が文壇人に影響力のある存在とは信じられない)、この女性号を見ても、何か自分を誇示しようと虚勢を張っている感じが見ていて痛いところがある。巻末に置かれた「フェミニズムと女性に近づくかもしれない23冊」(豊彩夏選)は、ヴァージニア・ウルフに始まり川上未映子で終わっているが、仮にも自分が責任編集している本で、こんなに露骨に自分上げを許して良いものなのか、その無邪気さには毒気を抜かれる気がした。大文字のフェミニズム文学の歴史の中に自分を位置づけることに照れのないこの無邪気さは、やはり徳田秋声が描いた「現代のノラ」山田順子の無邪気さを想起してしまう。樋口一葉の「大つごもり」を現代語訳して載せているが、盗みを働いた女の子をイケメンの不良若旦那が救ってくれるという話は、フェミニズム的にはどう解釈できるのだろう。
 私は山田順子に必ずしも批判的ではない。山田順子的なものが勝利する文壇というのも、それはそれでおもしろい。私にはどっちみち関係のないどうでもいい遠い世界の話である。「女性号」はガチのフェミニストには評判が悪そうだが、そう感じるのは男性作家にも配慮し女性側の反省もしているところが、カマトトぶって見えるからかもしれない。いつかは新たな『仮装人物』論を書きたいと思っているので、むしろ川上未映子を鏡にして(もちろん両者は全然違うので、そのギャップも含め)山田順子を論じる手がかりが欲しいと思っている。とにかく今回の渡部氏のスキャンダル報道以後にネットで交わされている真偽の入り混った幽霊たちの言葉を流し読みしていると、昔少しは交流があった「早稲田文学」に関係する人々が文字通り「仮装人物」と見えて来ることに不思議な感慨を覚える。文壇にかかわることは、人を「仮装人物」にしてしまうのだろうか。
 川上未映子については、その新しい短編集『ウィステリアと三人の女たち』を蓮實重彦が絶賛している。小谷野敦氏(ちなみに今度発売された『子午線』第6号の安里ミゲルの詩「主体百六年冬十二月丁酉校聖親肇作憲法十二条」では「東の横綱大江健三郎西の横綱大西巨人から序の口小谷野敦にいたるまで」と、小谷野氏も「文豪族」の末席に入れて貰っている)が私の感想を知りたいようなことをツイッターでつぶやいていた。別にそれに答える義理はないが、興味を持ったので川上の新著を読んでみた。どの作品も散文詩や歌詞を引き延ばしたような趣がある。視点人物が唐突に変わったりするのは、渡部直己が宣伝していた「移人称」(大正時代の「主客合一」の精神を格好良くいいかえたもののように見える)と関係があるのだろうか。隠喩はちょっと村上春樹風に感じた。ヴァージニア・ウルフへのオマージュは、そう言えば山田順子はコレットにあこがれていたなとまたもや条件反射的に連想したが、秋声が順子を「コレツト女史を逆で行つた」と評するのに対して、蓮實は、ウルフの再来として川上を絶賛する。蓮實は「この書物を書きあげたわたくし自身にわたくしは敬意を払う」というウルフの言葉を引用し、それに似た「敬意」を集中の「マリーの愛の証明」に覚えると語る。しかし作者の自作への「敬意」と、読者の他人の作品への「敬意」はどうしたら類似できるのかを蓮實は説明しないので、読者には何のことか分からない。ここにも「主客合一」の大正的身振りがある。川上を絶賛する蓮實は、「高等幇間」という感じがする(単に阿部和重の配偶者だから褒めただけかもしれないが)。現代日本文壇において批評家は「幇間」としてのみ存在を許されているのかもしれない。東の「幇間」でなくとも、石原慎太郎とか保坂和志とか他にも仕えるべき「主人」はいるだろう。蓮實の場合は谷崎の礼賛者であるので、「幇間」であることに倒錯的な喜びがあるのかもしれない。女性号の座談会の中で女性批評家はなぜ現れないのかというこれまでも繰り返されて来た問いが提起されているが、「幇間」とはその本質において男性である以上、「主人」から解放されたいと願う女性がなりたくないのは当然とも言える。
 いとうせいこうが今年『小説禁止令に賛同する』という近未来小説(作中では馬琴が愛用した江戸小説の根本技法「偸聞」(たちぎき)についての渡部直己の言説が引用される)を出しているが、この小説がピンボケに見えるのは、現代において「禁止」されているのは小説ではなく批評だからである。現在ほど小説家が批評を気にしないで心安らかに小説が書ける幸福な時代はかつてなかった。現代日本文壇に布告されているように見える「批評禁止令」(小説を批判してはいけない)の下で渡部氏がむしろ生き生きとして見えたのは、渡部氏の批評がそもそも批評ではなかったということなのかもしれない。
 今回のスキャンダルでは、渡部氏が長年「抑圧」(?)してきた小説家のファンと見られる人々から、口々に自分ひいきの作家を擁護する声が聞こえ、その擁護された一人である筒井康隆が、かえって渡部に理解を示すツイートをするという滑稽な場面もあった。『子午線』第6号に書いた論文「ただ一つの、自分のものでしかない歴史」で私は、元「慰安婦」の少女像についての「あの少女は可愛いから、皆で前まで行って射精し、ザーメンまみれにして来よう」という筒井の発言をめぐり、一章を費やして論じているので、興味のある人はそれを読んでほしい。この論文は、かつて「早稲田文学」で連載した「日本人の条件」の憲法九条論をバージョンアップさせたものでもあり(一部重複している部分があり、また本ブログの記事「日本国憲法における贈与と交換」もはめ込んでいる)、「早稲田文学」では市川氏に大変お世話になったのにうまく書けなかったテーマが、今回はずっと納得のいく形で書けたと思っている。
 スキャンダルの舞台になったカフェ・コットンクラブは、リニューアル後の「早稲田文学」新人賞授賞式の会場でもあった。今後「早稲田文学」が続くにしても、ここで新人賞はやらないだろうな、と本当にどうでもいいことを考えた。
スポンサーサイト
プロフィール

大杉重男

Author:大杉重男
批評家。著書に『小説家の起源-徳田秋声論』『アンチ漱石-固有名批判』

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR