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ハイドンと編曲

 とうとう2月は一度も更新しなかった。
 この間幾つかのハイドンの演奏会を聴いた。プロジェクトQによるプロシア王四重奏曲全曲演奏会、アルミンク/新日本フィルの「十字架上のキリストの七語」、東京カルテットの作品77の1。
 プロジェクトQは、若手の日本人による六組のカルテットが一曲づつ演奏するという趣向で、若々しいハイドンが聴けた。時間を勘違いして一番聴きたかった作品50の4の嬰ヘ短調の曲は遅刻して聴けなかったが、特に最後の50の6は、第一ヴァイオリンに南紫音が入っていたこともあって聞き映えがした。ハイドンの四重奏は腕の立つ第一ヴァイオリンが入ると特に生き生きとする。
 東京カルテットも良かった。神奈川県民ホールという会場はとても音がよく、音が生き生きと耳に届いて来た。出だしからチェロが結構自己主張していたのが印象的で、ともすれば上滑りになりがちなこの曲を引き締めていた。来年第二ヴァイオリンとヴィオラが交代し、ついに創設メンバーは一人もいなくなるそうだが、その前に作品76(特に「ラルゴ」)をもう一度聴きたいものだ。
 アルミンクの「十字架上のキリストの七語」は、予想よりずっと良かった。前半がモーツァルトの25番交響曲で、パンフレットには「パッション」(情熱=受難)つながりとのことだったが、なんとなくちぐはぐなプログラムに感じた。「パッション」ということならハイドンの49番交響曲などにした方が、一貫した雰囲気を味わえたようにも思う。集客の問題があるのだろうが、どうせ入らないのならハイドン・オンリーにしてほしかった。モーツァルトもハイドンも反復を省略していたのも残念だった。
 とはいえ演奏そのものは気合が入っているように聞こえた。聴衆が少なかったので音の通りが良かったということもあるかもしれない。また経験上、聴衆が少ない方が演奏家が演奏に集中して緊張感のある演奏を聴けることが多い気もする。この曲の管弦楽バージョンを聴くのは、去年の国分寺チェンバーオーケストラに続いて二度目だが、今回はモダンオケ(トランペットはナチュラルだったようで、最後の地震は派手に聞こえた)で、古楽器のような音色の面白さはないが、正統的なまっすぐなハイドンを聴かせた。この曲は第一ソナタから第三ソナタまではまだ余裕があるキリストの心境を反映して穏やかで悟り切ったような音楽だが、第四ソナタから第六ソナタではキリストの瀕死の苦悶の高まりと共に劇的に盛り上がり、第七ソナタで浄化された境地に達したところで地震で幕となる。地震で終わるのは、ちょうど『ドン・ジョヴァンニ』がドン・ジョヴァンニの地獄落ちで終わったと考えた時と同じような尻切れとんぼ感を残す。この曲が比較的頻繁に演奏されるようになったのは最近ではないかと思うが、これからまだまだ解釈の余地のある音楽である。
 この曲はオリジナルが管弦楽版で、その他に作曲者自身が関わったものとしては弦楽四重奏版、ピアノフォルテ版、オラトリオ版がある。最も人気が高いのは弦楽四重奏版だろうが、オラトリオ版は編成が拡大し晩年のハイドン作曲の管楽のための序曲も付け加えられて、「天地創造」や「四季」に匹敵する音楽になっている。ピアノフォルテ版は、私はインマゼールが来日してトッパンホールで弾いた演奏が忘れられない。CDではオルガン版やクラヴィコード版もあり、無限に編曲の可能性がある曲と言える。
 この曲に限らず、ハイドンの音楽は、編曲に対して開かれた音楽だと思う。もちろんそれはバッハをはじめとするバロック音楽にも言えるが、編曲がもたらす異化作用という点で、ハイドンには格別の味がある。最近聴いたものではナカリャコフがフリューゲルホルンで吹くチェロ協奏曲二曲や、メストレがハープ協奏曲に編曲したクラヴィーア協奏曲第11番が印象に残っているが、中でも特に愛聴しているのは、ウィンナ・フラウティスツという団体による作品76の1である。これはヴァイオリンをフルート、ヴィオラをアルト・フルート、チェロをバス・フルートに置き換えたものだが、フルート属のみによる四重奏が、このハイドンの名曲に不思議な哀愁を付け加え、非常に豊かに生れ変らせている。作品76全部録音しておいてくれればと惜しまれるが、同じCDにはロンドン・トリオも収録されていて、こちらはチェロをバス・フルートに変えただけのマイナー・チェンジだが、私にとってロンドン・トリオのベスト演奏となっている。またバセット・トリオによるバリトントリオをバセットホルン三重奏に置き換えたCDもすばらしい。ハイドンはクラリネットをモーツァルトの死後の晩年になってやっと本格的に使い始めるが、クラリネット的な音色でハイドンの音楽を塗り替えてみるのはとても面白い試みだ。このCDには一曲だけグラス・ハーモニカで演奏したバリトントリオのアダージョも収録されているが、金属的でかすれた響きが作るしみじみと蕭条した味わいは、前後のバセット・ホルンのまろやかな響きと好対照である。
 ハイドンの演奏は一時原典版志向ということで楽譜に忠実な演奏がよしとされたが(基本的には私も楽譜通りが好きだが)、最近はその楽譜そのものが演奏者の自由な解釈を許容するものであるという認識が広まって来て、特に古楽器演奏には面白い創造的なものが増えて来ているように思う。

儀式としての演奏会

 小澤征爾という指揮者についてはこれまでほとんど興味を持ったことがなかった。一度「ドン・ジョヴァンニ」を聴いたことがあったが、良くも悪くもアーノンクールのような癖っ気のない、すっきりとした直線的な音楽という印象しかなかった。CDは武満徹ぐらいしか持っていない。その小澤のコンサートのチケットを取ったのは、やはり小澤の病気についての報道と、それから曲目にハイドンが入っていたからである。
 1月22日のサントリーホールでの水戸室内管弦楽団のコンサートに行った。小澤は体調不良で曲目の順番を入れ替え、前半のモーツァルトは指揮者なし、後半のハイドンのチェロ協奏曲第一番だけ振るということだった。前半は無難な感じで、ディヴェルメントにもハフナー交響曲にも私はあまり思い入れがないので、なんとなく聞き流した。後半本当に出て来るのだろうかと思った小澤が出て来た瞬間、会場は割れんばかり拍手となった。小澤は予想していたよりも元気そうで、勢いよく振り始めた。オーケストラは生き生きとしていて、特に時折響くホルンの音を割った強奏は気持ちよかった。私は最前列の端の方にいたので、オーケストラの背中に隠れて独奏チェリストはよく見えなかった。そのせいもあってか、チェロの音が今一つ届いて来ないもどかしさが終始あったが(この曲の実演で私が聴いた中で一番良かったのはアンナー・ビルスマの演奏である)、代わりに小澤の渾身の顔芸を間近でよくみることができた。小澤は大きな身振りで指揮をしながら、ひたすらオーケストラを見つめる。それはにらむというのではなく、小動物が見知らぬ人間を見つめるような、無心の子供の瞳で見る。チェロのソロが続くところでは、至近距離からチェリストを見つめる。それが音楽的に効果的だったのかは分からない。チェリストにとってはやりにくいのではという気もする。しかし視覚的にはそれは面白い見物だった。指揮者とオーケストラとソリストが火花を散らしながら一つの音楽を作っていくその芸術の生成の現場のようなものが分かりやすく提示される。指揮者は単なる音楽のプロデューサーなのではなく、演奏会の演出家兼主演俳優でもある。その意味で小澤は確かに日本の指揮者の中でずば抜けたショーマンシップを持っている。それはクラシック音楽の重要な側面である。そのことが分かって素直に感心した。
 この日の演奏会はまさに一つのショーだった。天皇夫妻が来ていたことも、この見せ物あるいは儀式としてのコンサートをいやが上にも盛り上げた。後半が始まる前、夫妻が二階席に現れると聴衆(観客と言うべきか)は一斉に立ち上がって拍手した。小澤が思ったより元気に指揮をして見せたのは、天皇を意識してのことだったのかもしれない。演奏が終わった後、天皇夫妻は立ち上がって拍手をし、聴衆もそれにならってスタンディングオベーションをした。何度も小澤が呼び出された後、オーケストラが解散すると、天皇夫妻は聴衆に手を振って拍手の中去って行った。何か小澤への拍手が天皇への拍手に吸収されたような按配だった。
 私は「天覧」コンサートに遭遇したのはこれで二度目だが(前回はブレーズ指揮マーラー・ユーゲントオーケストラによる若々しいエネルギーに満ちたマーラーの第六交響曲のコンサートだった)、天皇のカリスマ性が改めて大きなものであることを実感した。天皇がいる限り、日本に真の独裁者は生まれ得ないのかもしれない。それは真のリーターシップもあり得ないということでもあるが。
 ともあれ、チェロが弱かったとはいえ、ハイドンのチェロ協奏曲第一番はやはり名曲だと思った。特に両端楽章のさわりの部分に現れるオリエントな雰囲気の節回しは、聴くたびにぞくっとする。

 

ハイドンとユダヤ人たち

 ハイドンの音楽は、クラシック音楽の中心に位置しながら中心からずれている不可思議な位相を持つ。この位相について考える上で興味深い本を最近読んだ。Caryl Clark “Haydn´s Jew”(『ハイドンのユダヤ人たち』)という本である。この本では、ハイドンの歌劇『薬剤師』を中心として、ハイドンの音楽に秘められたユダヤ性を発掘し、その歴史的文化的文脈を明らかにすることが試みられている。
 『薬剤師』は1768年に初演されたエステルハーザ時代のハイドンの最初のオペラである。ストーリーは典型的なもので、年長の薬剤師センプローニオ、センプローニオの弟子のメンゴーネ、顧客のヴォルピーノは、センプローニオの養女のグリレッタに思いを寄せているが、グリレッタの意はメンゴーネにあり、メンゴーネとグリレッタは策略を用いてセンプローニオとヴォルピーノを出し抜くことに成功し、結ばれる。センプローニオがユダヤ人であるという言及は劇中にないが、クラークはその名前(Sempronio)に含まれる‘sempre’(常に)という語が、「永遠のユダヤ人」を暗示していることを指摘し、その「専門家気質の欠如、新聞を読むことへの異様な執着、人情よりももうけを優先すること、ひねくれた性格、ムスリムとのかかわり」といったキャラ付けが、十八世紀のユダヤ人のステレオタイプをなぞっているとする。クラークによれば『薬剤師』の台本と音楽にはいたるところにユダヤ性が認められ、更にこのユダヤ的キャラクターが、同じゴルドーニ脚本の『月の世界』のブオナフェーデとエックリーティコに引き継がれていることも指摘される。その細かい分析の正否は分からないが、ハイドンの音楽の内なる他者性というべきものを考える参考になるおもしろい記述がちりばめられている。
 この本で特に私が興味を引かれたのは、十九世紀末にマーラーがドイツ語版に編曲された『薬剤師』をハンブルグやウィーンで復活上演した経緯とその意味が詳しく分析されている部分である。マーラーをこのプロジェクトに引き込んだのはロベルト・ヒルシュフェルドというユダヤ人批評家で、マーラーはヒルシュフェルドが編曲した『薬剤師』に、序曲としてハイドンの交響曲第104番を付け加えて演奏した。現代から見るとオーセンティックとは言い難いかもしれないが、このヒルシュフェルド版『薬剤師』は是非聞いてみたい。CD化しないものだろうか。マーラーがハイドンを演奏した記録としては『天地創造』と『四季』、交響曲第99番と第101番、弦楽四重奏曲「皇帝」の弦楽合奏バージョンが残っているそうだが、マーラーがどんな風にハイドンを演奏したのか、想像は膨らむ。ヒルシュフェルドは『薬剤師』の序曲として演奏された第104番を聴いた印象を次のように書いている。「交響曲の各楽章が進むにつれて私たちは私たちの現代感覚をそぎ落として行った。私たちは親しく喜ばししく純粋なハイドンの雰囲気に入って行った。そして最終楽章の後の興奮した喝采は、魅惑的であらゆる意味で機知にあふれすばらしく構成された音楽協会の贈り物に感謝した。もはや私たちにとってハイドンはよそよそしいものではまったくなくなり、快く、純粋で、芸術的な雰囲気が私たちを取り囲んだ」。
 クラークによれば、マーラーは『薬剤師』を上演するにあたって「無邪気で子供のようなハイドンという十九世紀後期の認識と、そのオペラが秘めるユダヤ的な主題系との間のアイロニックな距離」を知覚していた。ワーグナーの『指輪』のミーメにユダヤ人のカリカチュアを見ていたマーラーは、『薬剤師』のセンプローニオにミーメと共通のキャラクターを見ただろうというわけである。もっともマーラーもヒルシュフェルドも、ハイドンの音楽の隠れたユダヤ性を世紀末のドイツの音楽界で暴露しようとしたわけではない。特にヒルシュフェルドの意図としてはむしろその逆、ドイツの正統的な古典音楽としてのハイドンの再評価を目指したものだった。しかし結果上演された『薬剤師』の古典に収まらないナンセンスでジャンク的な異国性は、むしろハイドンを「東方化」し、「他者」化した。自身のユダヤ性を抹消して古典音楽にアイデンティティを求めようとしたヒルシェフェルドは、自分の選んだ古典音楽そのものの非古典性によってその意図を裏切られる。これはほとんどフロイト的な無意識の錯誤である。他方マーラーは『薬剤師』を繰り返し演奏することを通して自身の複雑なアイデンティティを、ハイドンの素朴な音楽によって癒されながら、余裕を持って距離を置きつつ見つめ直す機会を与えられ、そしてまもなく交響曲第一番に始まる自身の超近代的な音楽の探究に向かって行き、古典にこだわるヒルシェフェルドと決別する。ここらへんの分析は非常に冴えていると思う。
 「薬」は使い方によって毒にも薬にもなるのだが、ハイドンの『薬剤師』は、それ自体が毒にも薬ともなる「パルマコン」として、演奏する者、聴く者を惑わす。私は以前からハイドンとマーラーには共通点があると感じていたが、この本はその感じ方が必ずしも恣意的ではないことを示してくれたように思う。ハイドンとマーラーの私にとっての共通点は、ある種の身も蓋もない直接的な通俗性、型へのアイロニカルな服従、子供っぽさの露骨な提示と、それを文脈から外して別の意味を担わせる知的な運動との分裂的な共存にある。ハイドン自身はユダヤ人ではない。しかしクラークによれば、金への執着などステレオタイプ的なユダヤ的性格を持ってもいた(カトリックへの篤い信仰は非ユダヤ的だが)。クラークは、ワーグナー的な反ユダヤ主義の起源に位置する作品として『薬剤師』を見てもいるのだが、ワーグナーとは違ってハイドンは、自身がミーメ的な存在として差別的に扱われることもあるところが複雑である。

徳田秋声と小島信夫

 小島信夫は私が唯一雑誌で対談したことのある作家である。朝早起きして国立のお宅にお邪魔し、漱石と秋声について話をした。私は小島さんが「日本文学の未来」と題する連載(『漱石を読む』として単行本化された)の中で秋声についてかなり分量を割いていたのが印象に残っていて、秋声について考えるヒントを少しでももらえないかと期待して行ったのだが、私の力不足で(私はやはりしゃべる仕事はだめだ)うまく話を引き出せないで不完全燃焼のままで終わった。一つには小島さんの秋声に対する評価が、私の思っていたよりネガティヴだったことにとまどったということもある。考えてみれば、『抱擁家族』の作者が基本的に漱石と秋声との間で漱石寄りであることは当然のことではある。逆に言えば小島さんがどうして秋声にこだわったのかの方が不思議と言うべきなのかもしれない。
 小島さんの姉は吉原で働いていたことがあり、対談でも姉夫婦が秋声の本を読んでいる姿をぽつりと語っていたことが印象的だった。小島がこの姉のことをテーマに小説を書いたことがあったかは知らない。戦前的な姉夫婦の在り方とは異なる戦後的な家族の在り方を追求したのが小島文学だと言えば簡単だろうが、それで済むのか。
 小島の秋声像も、初期と晩年とではニュアンスが違うことも最近知った。1969年の『現代日本文学館8 徳田秋声』は、巻頭に小島の「徳田秋声伝」、巻末におなじく小島の「解説」がつき、秋声のテキスト(「あらくれ」「仮装人物」「縮図」)を前後から小島の秋声論が挟むという不思議な本である。そこでの小島の秋声観は『漱石を読む』よりもずっとポジティヴだ。「解説」では小島は志賀直哉と比較して「秋声の文章はたいがい、凹んでいく」と指摘した上で「志賀のが発見的であるにひきかえ、秋声は、とき放つことだ」と結ぶ。私との対談では「凹む」ではなく「沈む」といった形容をしていたように思う。読む内に沈んでいって内容が消滅してしまう、その読書体験を小島さんは否定的に語っていた。それに対してこの「解説」では凹むことは「とき放つこと」と言い換えられ、志賀的な文学とは異なる個性として肯定的に書かれている。小島はこの頃秋声を確かに「愛読」していた。私が会った時にはもう「愛読」の対象ではなくなったようだ。
 小島の秋声像の変化は、そのまま時代の変化に対応していると見ることができるだろう。しかし秋声論としては後の方がよいとは言えない。むしろ1969年時点の小島の方が冴えていたと私は感じる。「春来る」の評価の仕方は非常にユニークであり、そしてその後まともに受け継がれていない論点でもある。私はこれからも秋声を考える時、小島の秋声論に繰り返し立ち返るだろう。

土人の国

 紀要論文(中上健次の『千年の愉楽』について)を書いているうちに年末になってしまった。もう少し更新できるかと思ったが、途中体調が良くなかったりして結局尻すぼみになってしまった。あと三ヶ月どれくらい更新できるか分からないが、できるかぎりは更新したい。やはり名前を出してしまっていると、めったなことは書けないのでどうしてもあれこれ考えてしまう。ブログというのは本来匿名で自由に思いついたままを書き、失敗したと思ったらそのまま閉鎖して知らない顔をするのに適したメディアなのだろう。このブログのようにたぶんほとんど読者がいなくても、名前を出して書くというのは緊張する。しかしこの緊張感抜きで書く気持ちにはなかなかなれない。
 テレビで金正日の葬儀の様子を見た。カメラに向かって争うように大げさに泣き叫びグロテスクなまでにステレオタイプな悲しみの型を表現している北朝鮮の人々の映像を見ると、「土人の国」という言葉が浮んだ。この言葉はかつて昭和天皇が死んだ時、皇居に哀悼に訪れた人々の姿を指して浅田彰が言った言葉である。あの当時浅田の発言はさまざまに批判された。それは別に右翼や保守主義ということでなくとも、浅田が日本人であり日本の共同体に依存しながら、価値観が違うからと言って同じ日本の人々に対して見下したような態度を取ったことに対する反発もあったと思う。「土人」という比喩(「土人」に対して失礼だが)は、自らを文明人として他者を未開人とする差別的な意味をはらむ。それは当時バブル絶頂期で、無国籍的ポストモダンの最先端を行っているように見えた日本に対してだからこそ、敢えて投げつけることのできた言葉だった。実際には「土人の国」じゃないからこそ「土人の国」と言えた。この意味では今の北朝鮮を「土人の国」と呼ぶことはそのまま過ぎて洒落にならないかもしれない。
 それにしても最近テレビ番組で金一族のニュースに続いて皇室の話題が振られることが多い気がするのだが、気のせいだろうか。賛美の口調はソフトだが、少なくとも番組の中で批判を許されないタブーであることは、皇室も金一族も変わらない。もちろん日本の方が遥かに言論の自由はあるが、アジア的心性のような共通性を感じる。金一族が批判されるべきなら皇室も批判されるべきだし、皇室が批判されるべきなら金一族も批判されるべきだろう。右翼は前者ができないし左翼は後者ができない。いや、右翼はともかく左翼で北朝鮮を肯定する者は今やほとんどないと言われるかもしれない。しかし批判は決して十分とは言えないし、過去の北朝鮮礼賛の清算も行われているとは思えない。
 根本的な問題は日本人が朝鮮にそれほど興味を持てないことにあるのかもしれない。だからいざ関心を持とうとすると嫌韓だの韓流だの表層的な反応になる。これは地理的な問題、文化論的な問題だ。対馬海峡はドーバー海峡よりはるかに大きな障壁だった。そのおかげで日本は元にも征服されないで済んだが、逆に豊臣秀吉はその強力な武力にもかかわらず朝鮮を征服できなかった。明治以後日本は朝鮮を併合し中国大陸を侵略したが、結果から見ればそれは数十年の一過的な現象であって、基本的にコミュニケーションが足りない。武田泰淳は日本は滅亡に関して処女的だったと言ったが、戦争責任の取り方については非常に童貞的(?)でもある。
 日本の戦争責任問題が90年代以降に再燃したことは冷戦体制の解体と切り離して考えることができない。冷戦下において西側に属した日本は東側に属する中国や北朝鮮に対しては潜在的敵国であり、西側に属する韓国とは同盟国であることにおいて、責任を免れて来た。しかし冷戦体制の解体と共に改めて東アジア各国は自国のナショナリズムのアイデンティティの否定的根拠として日本をとらえ、歴史を書き換える。従軍慰安婦問題にしろ南京大虐殺にしろ、問題は普遍的な人権ではなく、傷つけられた各国のナショシナル・アイデンティティの再構築に関わっている。
 私が戦争責任問題について引っかかるのはこの部分である。日本の戦争責任を認めて謝罪し賠償するのは良い。しかしそのことが韓国なり北朝鮮なり中国なりのナショナリズムを過度に煽り立てることに貢献するのであれば、それ自体問題ではないか。とりわけ人民全体を洗脳しカルト宗教化している北朝鮮と、少数民族を抑圧する中国に対しては、彼らのナショナリズムを肯定すること自体が新たな抑圧への加担につながる。
 高橋哲哉や小森陽一を読んでも残念ながらこの疑問について答えてはくれない。彼らは絶対的な他者として戦争被害者をとらえるだけで、その具体的な内実は問わない。そこにあるのは加害者たる日本人にどのように責任を内面化させるかという徹底的に内向きな、日本人しか見ない姿勢である。高橋も小森も現実の現在の北朝鮮や中国そのものには関心がない。過去の日本人の犯した過ちだけがすべてである。
 もちろんよその国のことはよその国に任せれば良いので、内政干渉すべきではないという論理はある。しかしまさにこの「よその国」という発想の中に問題があるのではないか。
 この点について唯一私がこれまで見た中で納得のできた本は朴裕河の『和解のために』である。この本では韓国ナショナリズムがいかに日本をばねにして成立しているかが説得的に書かれている。上野千鶴子はこの本の解説で「日本の読者に求められる態度は、著者の自国批判に、乗じてはならないという節度だろう」と述べているが、この物言いには「日本の読者」を信用しない、いかにもエリートが民衆を見下すような上から目線のいやらしさがある。日本には日本向け、韓国には韓国向けとメッセージを使い分けていたら、何時までもたっても両者は一致しない。「日本の読者」はむしろ積極的に乗ずべきであり、乗ずることができるほど韓国の中身そのものに関心を持つべきではないか。
 とここまで書いて、しかし私自身どこまで現在の韓国・北朝鮮や中国に関心が持てるのだろうと自問せざるをえない。一つには言語の問題がある。いや言語というよりも文字の問題である。訓読による漢字仮名文化にある程度親しみ愛着を持つ私にとって、ハングルや簡体字はなかなかなじみにくいものがある。まずはこの文字という文化的障壁について考えたい。
プロフィール

Author:大杉重男
批評家。著書に『小説家の起源−徳田秋声論』『アンチ漱石−固有名批判』

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